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『方形の円 偽説・都市生成論』

ギョルゲ・ササルマン『方形の円 偽説・都市生成論』住谷春也・訳、東京創元社、2019

 

 50ページほど読み進めて、なんとなく見知った古くささだなと思いました。悪い意味ではなく、既視とか既知とかではあるものの思い出せない感覚。カバーの著者紹介を見れば、ルーマニア、1970頃、とあって納得(巻末にある書籍広告も、ダニロ・キシュとか)。雑な言い方をすれば、東欧はそういうものが多いという認識です。もう少し丁寧に言うと、論理のつながりが欠落しているような気がするもののちゃんと一貫している論理の効いた(物語)世界が成立する。あの地域から執筆される作品のおもしろさのいくつかは、そういったものにあると思います。

11/24 文学フリマ 配置

 

 場所が決まったようです。

 

【2019/11/24(日) 第二十九回文学フリマ東京】
出店名  ギルドてすさび
ブース  キ-30


イベント

https://bunfree.net/event/tokyo29/

(於 東京流通センター 第一展示場)

 

 

 去年に引き続き、主に次のようなもの4つを書きました。 

 

・地に足がつかない 第三回 道具それあれ

・地に足がつかない 第四回 てんてんと点

・いろのかみ 巻二

・にせものをつくってみよう

   ……など

 

 変な文字列が踊っておりますが、だいじょうぶです。

 

いろいろ

ヴェイユ『神を待ちのぞむ』について

 河出書房から「須賀敦子の本棚」という池澤夏樹監修のシリーズが刊行されていて、それぞれおもしろいです。

 その案内の中に、新訳でヴェイユが6月刊予定とあったので楽しみにしていたのですが、いつまで経っても並ぶ気配がないので調べてみたら、来年2月末予定になっていました。

  

・ウンベルト・エコ『現代「液状化社会」を俯瞰する』而立書房、2019

 週刊誌に掲載したコラムを編んだものだという性質や、事前の期待が高すぎたという要因もあって、かなりがひどくつまらない。少なくとも、一番おもしろかったのが付論扱いの「禅と西欧」でした。

 時事は、そのときどきでないとチューニングが合わないし、時間が経ったら合わせるための労力ばかり。そんなところが理由でしょう。

 

・儀式前から中継を映していまして、来賓の移動とか警護とか、裏方の手筈はまったく途方もないことだとしみじみ思います。

 

 

 

 

 

 

レイ・ジャッケンドフ『思考と意味の取扱いガイド』

レイ・ジャッケンドフ『思考と意味の取扱いガイド』岩波書店2019

 

 

 一通り読んだだけなのであまり深いことは言えない(せめてじっくりともう一回ぐらい読みたい)ので、真ん中あたりでわかりやすくおもしろいところのメモを。

 

p152-153

・「実際、視知覚は言語の知覚を思い起こさせるような多くの特徴をもっており、両者の並行性を探るのは興味深い。」

・「Visiting relatives can be boring.」

  (訪ねてくる親戚は退屈なときがある/親戚を訪ねるのは退屈なときがある)

・アヒルウサギ

  (アヒルにもウサギにも見える絵)

・「私が示そうとしているのは、文の意味理解が無意識的であるのと同じく、視覚的な理解も無意識だということである。つまり、<意味の無意識仮説>にあたるものが視覚にもあるわけだ。」

・「隅のハムサンドがコーヒーが欲しいって。」

  (「ハムサンド」=「ハムサンドを注文した人」。指示転移)

 

 こんな明確におもしろいと主張する見開きもそうないでしょう。

『進撃の巨人』 その2

 話題になっている物を見ていたり、とりあえず飛び乗ってみたりすると、おもしろいものを垣間見られる(*1)のがいいところです。

 

 「エレンポイント」概念を見ることができたのは良かったと思います。派生でユミルポイントまで出てきたではありませんか。おもしろいですね。

 

 そしてなにより、「ザックレー総統、美の巨人」説まで出てきたのには笑ってしまいました。間違ってはいない。作中でザックレーほど芸術にかぶいている人はおりますまい。しかしそれにしてもそのカテゴライズとネーミングはなんとも笑いを誘ってくる。

 

 

 

 

 

*1 ら抜きで入力すると修正候補を出してくれるので再入力の手間が省けます。それはそれとして、もはや口語ではら抜きで可能、ら入りで尊敬というような振り分けがあるだろうし、それは(少なくとも私の頭からは)消えないだろうというのも今日読んだ本であらためて思いました。それはまた後日。

 

 

 

 

 

『進撃の巨人』

 

 


進撃の巨人


 せっかくの機会ですから読んでみました。

 連載開始時、女型巨人登場時、ミカサヒロイン時あたりに読者の方々が盛り上がっていたのが記憶にあります。それぞれ、「なるほど、巨人か」「男がいれば女もいるのか」「おー、盛り上がってるねぇ」というようなことを思ったような気がします。
 それから、リヴァイ兵長がかなりの人気を誇っているらしいことも。なんだかんだでコラボとかキャンペーンで話題になるのなら、人気があるのだろうと思っていました。接点はそれぐらい。

 で、読んでみれば、たとえば、女型の巨人についての想像と実際のあさってっぷりがすさまじい。読んでいなければ、あれの意味(知性種の呼称、その他)などわかるわけがない。逆に、連載なり単行本なりを追っていた人は、そりゃあ盛り上がるだろうこともよくわかる。

 同様に、リヴァイやエルヴィンの人気の理由もよくわかりました。切れ者の取り扱いは難しいものですが、2度目に読むと巧みに運用されていることがよくわかります。兵長の一時離脱とか、あれ、兵長がいたらエルヴィンの悪魔っぷりが霞んでしまいます。それはいけない。

 そういう駒の組合わせ方として、サシャとガビ周辺のエピソードはすごいですね。よくできています。エレン、ライナー、ガビの順で繰り返すところに、もう一つ。えぐいですね。

 それにしても、もうすぐ終わるらしいのに、アニをどうするんでしょうか。

 

 

 

 

トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』高里ひろ・訳、みすず書房、2019

 読み終えて思い返せるポイントをぶっこ抜くと、

・「左利きの殺人鬼は証拠だが、右利きの殺人鬼は例外」

・間違った民主主義(専門家の意見も素人の意見も等価なひとつの意見である、など)

・証拠がないことが証拠(陰謀論の柱。反証性という要素)

・専門家も間違える(が、素人が間違える割合とは比較にならない。であるにもかかわらず、一事が万事。無謬信仰)

 あたりでしょうか。

 メディアやインターネットの影響についても何度も検討されます。

 

 それはそれとして、私は「ヒップ」をそのまま「ヒップ」とし、「ネット弁慶」(たぶん、原書ではインターネットタフガイとかだと思われます)に置き換えるという基準が気になります。

 hip(=:cool。おしりじゃない)をまるっと置き換えるのは難しいですけど。