枝筆書庵

三糸ひかり

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コミティア、タロット

   ふうらりと行ってきました。毎度同じことを言っているような気がしますが、あれだけの情熱が渦巻いているというのはすごいことです。

    

   タロットの面に意味解釈を印字したものを作った人がいらっしゃいまして、「ああ、これはいい。特に初心者に心強い」と思うと同時に、「しかしこれだったら、解釈意味だけが書いてあれば事足りる。絵の意義とは。さらにはそもそもタロットとは」みたいな深みに足を突っ込んでスペースの前で考え込みそうになりました。

    いいアイデアなんですよ、とても。しかしてそれは同時にきわめてプリミティブな部分を通過するので、わたしのようなややこしい人には危険物に等しい。

    しばらく考えたいところです。

       

   

    ケータリングは相変わらずオムそばが人気のようで。ケータリングに適した料理だというのも強力な要素なのでしょう。

 

    

文体ととっつきやすさ

 数日前に山月記についてあれこれとありました。現在の日本では、おおむね漢文の知識や接触が減じているので、その点からもいろいろと思うところのある人がいるようです。というわけで文体の話。

 引用を一つ。

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 最後に顔真卿を見よう。真卿が卒して後二十年の頃、求道のため入宋した空海弘法大師)の、帰朝後の揮毫に係る『風信帖』や『灌頂記』に顔法が明らかに投影していることは、識者が等しく指摘するところである。しかしこれは空海一人のことに止まってそれを継ぐものなく、その影響は久しくこれを見なかったのであるが、江戸時代に至り、その書に注目する人物段々現れたが、その忘るべからざるは貫名海屋であろう。もとより海屋が学んだもの、王羲之・猪遂良を主とし、元明の名家よりわが国の空海に及び、その上に立って独自の書風を樹立しているのであるが、顔真卿よりも取るべきをよく取っている。しかし真卿を慕うこと最も深く、その小字は勿論大字に至るまで、すべて真卿の『争坐位帖』を彷彿せしめるは佐久間象山である。そして明治以降に於いては、顔法を終生守った人物に長三洲があり、この書風は一大勢力をなした。

  ――浅見絅斎(近藤啓吾、訳注)『靖献遺言』講談社学術文庫、p170

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 わからなくはないけれども、しかし、それにしてもところどころひっかかる、もっといえば古風。そう感じる人が多いだろうと思います。使用語彙や助詞の使い方が効いてくるととりあえずは言えそうです。

 作りを見やすくするために一文を加工すると「もとよりA、Bとし、CよりDに及び、Eしているのであるが、Fよりも取るべきをよく取っている。」となり、現在の口語とは離れているのがよくわかります。

 詳しく考え始めるときわめてややこしいことになるので、これでおさめましょう。

 

 京都で野堀さんとの『文体練習』を並べた時に、値札に「実践レーモン・クノー」と書いておきました。文体練習かクノーの名前か、どちらに通りがかった人がひかれたのかはなかなか難しいところです。

 別の機会に有村さんと、「ロブグリエよりもレーモンクノーの方がとっつきやすいですよね」と話したこともあります。

 

 

 

東博特別展の話

 祭姪文稿まわりの話から、鑑蔵印の話もとりあえずもりあがったようで、五馬図巻のことが出回り始めたようです。

 要点としては、「行方不明だったとんでもないものがしれっと展示されている、見ておこう」でよいと思います。

 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/15323

 

 先月にも二玄社さんがそっと言及してくださっています。

 

https://twitter.com/Nigensha_PR/status/1086159428707991553

https://twitter.com/Nigensha_PR/status/1086159429609779200

https://twitter.com/Nigensha_PR/status/1089804021517275137

 

 一緒に行った方には事前に行方不明だった旨を伝えておけたのでよかったです、二玄社のおかげです。行方不明とは伝えましたが、馬の絵とは言っていなかったので「いきなり馬の絵が出てきてびっくりした」とも言われました。文字を見まくった後なので、なおさら印象に残ると思います。

 

 

 

 

 

お菓子の話 など

 

   有名なバターサンドなどをいただいたので食べていましたら、クッキーなどもおいしいのに、バターサンドの印象が強すぎて、どうにも影が薄れてしまうということになったので、感覚とはじつにザルなものであることよと思います。

   バターサンドの味が濃いというものありましょうか。レーズンとかラム酒とかもあるので、プレーンなクッキーからしてみればかなりぶがわるい。

 

    パソコン周りの配置換えをしました。だましだまし使っていたものを机とか棚とかをしっかりと移動させたので、使いやすくなってくれることでしょう。

   

     

   

   

写本、版本

  とあるゲームにとある人をモデルにしたキャラクターが登場して盛り上がっているようで、、、、まあ、紫式部のことです。それはそれで良いのですが、欲を言えば、わかりやすいエピソードだとか、源氏物語の目立つ箇所以外の、もっと写本だとかにも興味関心を持ってもらえたらいいなぁと思うのです。思うのですが、しかしながらそれはハードルが高い。たいていの場合は、読めないというのが大問題です。重々承知しております。

   では、読めなくても、校訂だとか註釈書(湖月抄とか)に誘なうのも難しい。活字にしていても、今度はわからないという問題が顔を出す。

    しからば絵巻、源氏物語絵巻でどうですか。日本画とか修復作業とかも付いてくる。

  

   

理論と実践

 拓の取り方は知っていたものの、じっさいに取ったことはないのでまさにただ単に知っているだけです。

  じゃあ取ってみようといっても、そう簡単にはいかない。今の日本でよさそうなものは、、、定礎ぐらいではないでしょうか。あと墓石。

 所有している物件なり自分の墓なりでないとよろしくないので、やはり難しい。

  

   篆刻をやっているなら取っているでしょうと思われるかもしれませんが、私は今のところ彫るのが楽しいからやっているのであって、そういうところにはいまいち。やりたいとは思っていますが。

   

  まあそんなわけで、ごくごく簡単なわかりやすくとっつきやすそうなコメントを会場でちょいちょい提供しました。

   ケーキを食べているときに話したのですが、理想を言えば、特に後半の展示などは映像による解説があれば、あまり不慣れな人にももっとわかりやすいんだろうなと思います。結果の見た目だけでも充分には違いないが、筆運びを見ることができればなおわかるという話ですね。

   映像、、、作るか。   と、まあ、こうしていろいろな物事が入り乱れてタスクの順序が右往左往するのです。

 

   

拓本とかの話

 特別展の話のつづき。

 

 古い物ほど現物ではなく拓本である率が増します。石碑はいたしかたないですし、現物がすでに壊れているということもある。

 

 私たちの前を歩いているお二方が拓本の取り方を話していたらしく(私も、なにか話しているなとは気付いていましたが)、我が同行者が訊いてきました。

同行者「……石碑に墨を塗るんですか……?」

私「!?」

 どうも前のお二方の話を忠実に実施した場合、紙に写されるのは反転してしまう。そんな馬鹿なと混乱した様子。

私「(十円玉の上に紙を載せて鉛筆で撫でると模様が浮き出るという話を、動揺したためにだいぶ回りくどく説明)」

同「ラビングですか」

私「はい。理屈というか考え方は。元の物に塗ることはまずないです」

 直接塗布するのは、絶対に食用にしないとわかっている簡易な魚拓ぐらいでしょう。

 

 細かいことをいえば、乾式ではあまりきれいに取れないので、展示されている物のほとんどは湿式でしょう。写し取る紙や布を濡らして、さらに叩いてより密着させる。

 

 石に彫られた字を持ってきたいるわけですが、まずその石に彫ってあるという点からして、なかなかに驚異です。石を彫れる筆があったわけではないでしょう(そんなものがあったら、スマホどころの騒ぎではない)。