枝筆書庵

三糸ひかり

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ユーザーインターフェイスの話

 ブラウザ版のUIがとんでもなく使いづらいという声が多く聞こえたので、どんなものかと触ってみれば、まことに使いづらい。どこもかしこも同じさえずりばかりなのも納得です。

 3カラムにしておきながら、それぞれのサイズバランスが珍妙すぎることが使いづらさの要因の一つだろうということをぱっと見で思いました。

 ブラウザによる? よるかもしれませんが、こうも異口同音なのはそれ以前の話だろうと思います。

ゲーム動向

・メギド

 ここ半年ほどの安定状態はとても喜ばしいと、ファンの一人として嬉しく思っています。

 テーマの提示方法だとか話の構造だとかにおいて、基本に忠実でサンプルとしても優秀なので、近いうちにまとめたい。

 

fgo

 まだインドやってないんですよね。

 それはともかく、先日、まったく脈絡もなくふとした弾みに、自分の世界のために異聞帯を渡り歩いて行く先々の異聞帯を滅ぼさなければならない異質な主人公との参照のために、異質なという要素における先駆者の言峰神父が引っ張り出されたんだろうなぁということを思いました。

句歌かくかく


上野貴子、江畑哲男『違いがわかるはじめての五七五俳句・川柳上達のポイント』メイツ出版、2017
 

 俳句と川柳。

 川柳はともかくとして、俳句はなかなかに短すぎて苦労するというのが私の立ち位置です。季語がね。

 

 

千種創一『砂丘律』青磁社、2015

 短歌。

 裏表紙で「現代短歌の修辞を貪欲に吸収し、定型に揺さぶりをかけながら」と紹介されているとおり、いいわるいではなく、かなりがちゃがちゃです。最近話題になったアラビアの雪の歌(p145)はとてもおとなしい。

 音数、リズム。切れ目。表記。この3つが現代短歌の現代短歌たるわかりやすい要素だろうと昨年から考えています。どうしようもなく外しているというわけではなさそうなのが確認できたので、とりあえずよし。なにをどう詠むかという方法については、もうちょっとしっかり読む必要がありそうです。

 p116のリモコンの歌などはお手本として。ベタすぎる? いいんですよ、これはお手本なんですから。

 商品名(特に飲料)が多めに感じました。使い易いのでしょう。

 

燎原の火

 

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 ところが、現実はまったくそれと逆のようである。戦後一時期燎原の火のごとき勢いで日本史ブームがおとずれ、そのなかで大発行部数を持つ啓蒙書が流布されたが、これらを含めて歴史書田沼意次(父子・兄弟)に関する部分を見ると、前記のような配慮がほとんど見られない。とくに歴史ブームのなかで出された啓蒙書を見ると、その点が目だつようである。なかんずく悪人田沼意次をえがく場合には、その典拠とする史料批判が、ほとんどまったくといってよいほどなされておらず、田沼の悪評・悪行を記したものであれば何でも取り上げて、これを”歴史的事実として”または”あたかも歴史的事実かのごとく”書きたてている。それのみではなく、それらの資料を使用するときに歴史家的配慮がほとんどなされておらず、少しでも面白ければそれでよいといった非学問的態度さえ見えるかのごとくである。そこには義憤さえ感じさせるものがある。


大石慎三郎(監)、序文(1970)、p5-6
後藤一朗(著)『田沼意次 その虚実』清水書院、2019(1971、1984

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 面白さは重要な要素の一つであるにせよ、それを適用する場面は選ばなければいけません。

 それにしても、これが書かれたのが1970年です。

 

ネスト

 どうにも今年は蜂の巣がよく建築されるもので、なかなか憂うことが多い。

 蜂の巣も人間の住宅と似たようなもので、造り始めたらあっというまに落成となりかねないので、たいへんです。

 そうはいっても、ジェット噴霧とか便利なものが製造されているため、危険は少ないには少ない。……が、まあ、刺されたらたいへんですから、気をつけないといけない。

鹿

田中淳夫『鹿と日本人 野生との共生1000年の知恵』築地書館、2018

 

 奈良(公園)の鹿をメインに、現状と歴史が記述されています。象徴、祭儀、観光利用とか、あるいは戦後の林野業政策(の失敗)の影響とか、食害が発生する要因とか、最近の話題だとジビエについても。

 寺社のいいかげんさだとか、各々の時代の行政の苦悩だとか、メディアのずさんさ(全然別の話ですが、なんかここ数日、またもや半端な報道でもめているらしいではありませんか)だとかもよくわかります。

 

 以前奈良に行ったときに思ったのは、あたりまえですが「鹿がいる」で、新鮮でした。あれはなかなかない。鳩でも猫でもなく、あれだけの数の鹿があたりまえにいるというのは、おもしろいですね。まあ、観光客の感想であって、住んでいるとまた別なのでしょうけれど。

 

 

あれがこれ

有元裕美子『スピリチュアル市場の研究』東洋経済新報社、2011

 


 8年も経っていると記されていることがやや古いかもしれないと感じることもありますが、スピリチュアルの括りで括れるものについては一通りまとまっているので概括として便利でしょう。各種の現状紹介は古びますが、消費者側の受け入れ素地に関する考察などは今でも有効でしょう。

 

 括れるものは一通りと書いたとおり、占い、ヒーリング、パワースポット、代替医療と、あっちの端からこっちの端までと領域はすさまじい。それぞれの項目に対して連想することも人によって様々でしょう。たとえば、ヨガがスピリチュアルかと言われると、違うんじゃないかなという気がします。瞑想とオリエンタルな健康体操とが合体したものという方が合っている気がします。
 そのあたりを考えつつ読んでいるとスピリチュアルについて整理できて、ちょうどいいでしょう。