やれこれからの人生設計だの、コロナ渦中、コロナ後を見据えて自己研鑽をだの、他者を当てに出来ない以上、自分を磨こうだのと、オンラインサロンが姦しい。

 

 それぞれに(思惑はどうであれ)頑張っているのではあろうが、頑張りが実に浅い。猛省していただきたい。

紙片2片

 

宗教はある種の純粋さ、潔癖さ、ひたむきさを要求する。それが現実に発露する場合に排除や禁欲やあるいは数量問答が起こる。

 

 

ヴェイユの、首尾一貫しない一つの虚言が首尾一貫した虚言に敗れたにすぎない、という文章からは、私たちがいる虚言は容易に崩れ去るし、相手次第ではたやすく崩されうるということを汲み取るべきなのだろうとここのところ思っている。その場合において相手方の大小を問うのは意味がない(なぜなら一貫している相手方は真であり正であり実であるから)。有効な虚言が新たにもう一つ私たちに必要という、ただそれだけのこと。

『神を待ちのぞむ』2020

 

 複数回のながきにわたって刊行が延期した本が先日出た。

 

シモーヌ・ヴェイユ『神を待ちのぞむ』今村純子訳、河出書房新社、2020(須賀敦子の本棚8 池澤夏樹監修)

 

 春秋社の2009年版を読んでいる。読んだといっても、かなり時間が経ってしまった。ので、忘れている。それから、『根を持つこと』とか『自由と社会的抑圧』とかは読み返すからというのもあると思う。

 そんなわけで、まあ、新しく出たからこれから読んでいこうと思っている。今度はどんな感覚を抱くことになるのやら。

 

 

展覧会ふたつ

 

 

 

根津美術館

 

モノクロームの冒険
日本近世の水墨と白描
2020年9月19日(土)~11月3日(火・祝)

http://www.nezu-muse.or.jp/

 

 

・町田市立国際版画美術館

 

西洋の木版画 500年の物語

2020年 9月26日(土)~11月23日(月・祝)

http://hanga-museum.jp/exhibition/index/2020-448

 

 

早川、2つ

 

 

 先日、見かけた文章(https://anond.hatelabo.jp/20200701175011)に「ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、」というのがあり、私もそう思う、とうなずく。

 表紙の装丁については、SFならという条件で、実写人物ではしょうがないし、抽象画ではしょうがないしで、人物のイラストというのはベストかどうかはともかく、穏当な所なんじゃないかな。

 

テッド・チャン『息吹』早川書房

 「商人と錬金術師の門」が好み。

 大森さんの訳者解説が最初からフルアクセル。

 

p141 17行目(後ろから5行)マルコとポール

 13,18、21行目にマルコとポーロがあるのに、なぜここだけという変なものなのだが、誤植とはそういうもので、どうしても出てしまうものなの。わかっちゃいるが、とはいえ、隣にあるのに見つけられないというのは歯痒くてしょうがない。