ふたつのきもち

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文字に拘束された現実の教会や司祭よりも、聖霊によって鼓吹された人々を指導者とすることが異端にならないはずがない。聖書に記された御言を学ばずに、聖霊の導きのもとに、直接的に神に至ろうとすることは、狂信、熱狂主義につながるのだ。中世に於いても、狂信(英enthusiasm;独Schwarmerei)と聖霊主義が同義だったことは覚えておくべきだろう。狂信とは一七世紀において、進歩的知識人の最も憎むものだった。

山内志朗『新版 天使の記号学』p176

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 引き続き。

 ここの前にはルターが話題にあり、まあそういう話の流れです。

 

 

 たとえば、後半をわざと引いてこないであれこれ言うこともできるわけで、そういうことをするとすれば、わりと見境のない言葉がここにならんでいることでしょう。

 

 それはそれとしても、やはりなんだかなぁとも思うのです。