白い影

 シュミンケのマスキングインクのデモンストレーションで試してきた物の一部。

 

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 これだけでも、なんとなくそれなりにいい感じを漂わせることが可能っぽい感じ(えらくふわふわとした物言い)なので、きっと使い方次第で思いもよらないものができあがるのでしょう。

標題

 これからは標題は自分で書かないといけないかなということを、ここ数日考えていました。

 文字のバランスというのは、まあ、難しいもので、文字単体と語句程度のかたまりと文章とでは、異なる(少なくとも、やたらと豪勢な文章は読みにくいでしょう)ので、どうしたものかなとぐるぐるしているあいだに、反古が増える。

 増えてもすんなりと決まればなにも問題はありませんが、三日ぐらいたたないと結論が出なかったりするのでなかなか難しい。

 

ひとばっかり

 コミティアに行ってきましてね、いつにも増して人が多いなと思いました。

それだけがというわけでもなく、他にもいろいろとあるのですが、まあしかし、まったくもって人が多いと思うわけです。

 疲れる。

 

 

 もう筆と紙とを相手にするだけでいたいとぐちぐちこぼしたくもなります。

  

思い立ったが

  我らがSakiの”When William Came”を掻い摘んで読んでいたら、思っていた程度をこえておもしろいんじゃないかという気がしてきたので、今更ながら訳してみようかと考えはじめました。

万年筆とかいろいろ 20180402

 ここ数日は京都高島屋のお人形の話で、ドールの方々が大騒ぎになっております。

 限定品というのは面倒な物です(すさまじくざっくりとした包括)。

 

 

 万年筆界隈の方たちは3月に催事がいろいろとあるので、またちょっとした騒ぎです。

 それとは別に、ツイッターで万年毛筆が話題になってました。

 結論としては、呉竹の万年毛筆にプラチナのカートリッジを挿せます。自己責任で。

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 このように。 

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 各種万年筆インクが筆ペン感覚で使えるようになるというのが肝の、いわゆる魔改造(改造?)ですな。

 

 ……と言っても、墨も筆も使う人間としては、水筆に入れるとか、小筆を山と用意するとかでもいいんじゃなかろうかと。

 黒を挿したのがよくなかったのかもしれませんな。濃さが中途半端でいけない。

 

 呉竹と言えば、夢銀河の京都オパールが綺麗です。どぎついと言えばどぎついのですが、綺麗なのでいいでしょう。

 

 

 

 

 

スーシェ版オリエント急行

 遅ればせながら見たわけですが、

 

 尺が足りないんじゃない?! というのがまず最初に。

 

 フィニー版(映画)が128分、スーシェ版が約95分(ぐらい?)。

 まあ、早い早い。事情聴取がどんどこ過ぎていく。デイジー・アームストロングのこともカンペがあるかのごとく隠れてない(まあ、みんな知っていることなのでいいか)。

 

 オリエント急行としてもスーシェ版としても、いい映像化だと思います。(「ひらいたトランプ」がなんであんなことになったのかというのがなんとも……)

 

 

バスの混雑について

 寺田寅彦が電車(東京市電)の混雑を随筆にしたためたのはよく知られているところです。表を見るに、2~3分に一台運行されているので、まあ、今の山手線みたいなものだったと言ってしまっても問題ないでしょう、たぶん。

 

 ウィキペディアを見てみたらおそろしいことが書いてあったので、以下紹介、強調は私。

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一方で好景気とあって交通需要も増大著しく、1日の乗客数は1916年度の約72万人から1919年(大正8年)度には約108万人、1922年(大正11年)度には約131万4000人と6年あまりで約1.8倍の増加となった[21][24]。これにより営業係数34.3[注釈 14]を記録した1917年(大正6年)頃から経営状況は好転し、以降も1921年(大正10年)度、1922年度には減債基金の積立や市経済への繰入を行ってなお400万円以上の剰余金を計上するなど大幅な黒字経営に転換した[24][26]。この時期の東京市電はほとんど唯一の近代的交通機関として市内交通の8割を担っており、1910年代後半から20年代前半にかけての時期はまさに東京市電の「黄金期」であった[24][27]。

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 なんだこれは。

 

 閑話休題

 それだけの間隔で運行されていれば、後続と団子になってもあまり区別がつかないような気もしますが、先日の京都でバスが3台団子になったのに遭遇したので、さすがにあらまあという感じで驚きました(接近表示が意味をなしていないのには既に何回か接している)。

 

 仮に五分間隔だとしても10分の遅れ。先行との間隔は拡がるばかり。

 京都のバスは良くも悪くも材料がたくさんあります。