にっぽんいち
先日、銀座に行きまして、画材やら文具やらのお店をふらりふらりと歩いてきました。
で、鳩居堂です。
1階は紙もの、日用文具、季節もの。2階は画材、書道用具……と言いたいところですが、実態としては、ほとんどお香売り場でしょう。それもまた時代の流れです。
目が慣れてないのか、それとも見る目がないのか、いまひとつ自信を持てないのが残念なところですが、やっぱり鳩居堂価格ではあると思います。
伊東屋。
文房具……というか、もはやステーショナリーショップと言った方が早い気がします。元は輸入に注力していたわけですから(でしたよね?)、鳩居堂と双璧でやっていって欲しいと思います。
ただ、本館のあの縦に長いのはなんとかならんものだったのかと。
お詫び
先日、http://edafude.hatenablog.jp/entry/2017/04/18/214117を投稿しましたが、「なんでこの色……?」という疑問を解消すべく、影印本やら解釈と鑑賞別冊やらを眺め続けていまして(そのあいだに第二弾が発売されてしまった……)、本日、襲をモチーフにしたという根拠に行き当たりました。
難しくもなんともなかったです。すいません。
サキの名を唱えられては黙しているわけにはいかぬ
https://twitter.com/write_jun/status/877393036786806785
というわけで、伊藤なむあひさんが "Beasts and Super Beasts" に言及しているので、これさいわいとしゃしゃりでてみるわたくしでござる。
ほらほら、伊藤さんも趣味の翻訳やっちゃいましょうよ。
……え、私?
私はいまいろいろアレだし、本について言えば、ヨハネ福音書訳註とスーシェのポワロと私のペーパーバックを読むのに忙しい……
イラスト(キャラクター)とはんこ
これ(http://soberthe.tumblr.com/post/162045974585/)は、試しに彫ってみたものなのですが、試しにしてはよくできたと思います。ただし、これの前に一本、いい具合の線が取れずに失敗しています。
あまり詰め込みすぎると潰れる、描線が細すぎると場合によっては捺したときにかすれる、というのははんこならなんでもそうなのですが、キャラクターのイラストですと、特徴やら持ち物やらで、文字よりも制約がかなり増えますのでなかなか難しい。控えめに言っても、簡単ではない。
ミュシャ展
生きている間に全部まとめて見られるなどというのは、今回以外にまずないだろうということで、行列も混雑も覚悟のうえで行ってきました。
90分待ち。
120分だったら、ひょっとしたら帰っていたかもしれない。
絵画についてはまったくなので、アレな感想しか言えませんが、あれだけの規模で、いろいろ仕掛けていながら、ちゃんとまとまっているという、奇っ怪な、ひらたくいえばおかしい作品群だと思います。
なんであれで成立するのだろう……?
いくら何でもその言い方はというのであれば、一目見ただけでも自然と流れ込んでくる驚異の作品です。
ハイライト明暗濃淡とか視線誘導とかいろいろあるのでしょうけれども、あまり詳しくないのでね。
で、それであっても、時代の流れ、というか、絵画技法の流行とのずれで時代遅れだとか言われてたという解説をみて、ああ、いつの時代もそういうのは歴然と存在しているかと思いました。
(註:ヤンソンも流行と一致していなかったので、ずいぶんと苦しんだといわれています。)
90分並んで混雑の中に突撃した甲斐はあったと思います。
補
書き初めのようなこととして書いたこれ(
http://soberthe.tumblr.com/post/156530241230
)について、何人かに勘違いのまま朝顔が詠んだ歌だと言っていたのですが、正しくは夕霧に対する藤典侍の返歌です。
一緒に朝顔のも練習していたので記憶が混ざっていたようです。
道具と手間と
ちょっと前に、ちょっと前というかついったーがはやり始めた頃だったような記憶がありますし、まあ、おおむねいつでも使われている小咄がございます。
概要。
無重力空間ではボールペンが使えないことがわかった。
NASAは苦難の末に無重力でも機能するボールペンを開発した。
一方、ソ連は鉛筆を使った。
道具は使ってこそという面があります。もちろん、コレクションという道もありますが、それはまた行き着く先が異なりますからおいておきましょう。
鉛筆よりシャープペンシル。つけペンよりサインペンボールペン万年筆他同等品。
筆記が、整備補充作業で中断されない方向が、ま、便利ということになりましょう。
それで言えば、墨と毛筆なんざ不便きわまりない存在です。まず墨を磨るところからはじめにゃならんのです!
先日、「こないだ、孫に買い物を頼んだら、『ばーちゃん、ちょっと待って』って電話機使ってさ。帳面に取るってのをしないのよね」、「おばあさんね、それは、昔は薪から火おこしてたのが、炊飯器のボタン押すだけになったのとおんなじよ」という会話をしまして、まあ、何であれ、変わるものはいくらでも変わるものだとしみじみ思います。