品詞から時間へ

 品詞が変わると意味が変わる単語だとか、対象(目的)に応じて動詞を選ぶ必要がある(この動詞は人間を目的語に取れない、とか)だとか、そういう世界に時折ひたっていますと、当該言語の文化や社会がなんとなく想像できたりするような瞬間がたまにあり、そういうところが楽しいところの一つだとは言えましょう。滅多にないですが。

 

 漢文漢詩は、もともとは数ある一言語であったものの、とくに日本文化という文脈に絡むと、なんか別の独立した言語のように扱った方が楽なのかもしれない(だいたいが訓読に起因すると思う)という、これまた不思議な位置の代物でございます。

 漢詩の平仄など、もはやたいていの日本人には意味不明なものですが、漱石はわかっていた形跡があるので、100年という時間はおそろしいですね。

 文化とか言葉とかは変わっていくものです。