映画

 三島憲一ベンヤミン 破壊・収集・記憶』 岩波現代文庫、2019

 

 思うに、よく言われるベンヤミンのわからなさやわかりづらさは、神秘主義方面ほかの影響で、言ってしまえばなじみがないことに起因するのではないでしょうか。良し悪しや有意かどうかはともかくとして、なんとなくこのましいとは感じています、私は。

 

 神秘主義という語を使わざるをえないので使いますが、神秘(主義)を言語化できるなら世の中にこれほど嬉しいことはありません。言語で固定できるのなら、そもそも神秘ではない。

 先日のこれ(https://edafude.hatenablog.jp/entry/2019/06/07/211631)もそうですが、関連するところのあれもこれも、揃いも揃って根が深すぎて扱いきるのは難しい。

 わかりやすさの入口として、副題の「収集」という語が使いやすい。なんでもいいから十や二十、がらくたでもいいから並べたててみる。その配列や全体から見えるものが神秘。書いていてあまりにも乱暴で粗雑なたとえだと思いますが、まあ、だからどこまで掘っても根の末端をすべて把握できないということもわかってもらえるでしょう。

 枝葉も根も含めすべてとつながっており感覚を共有しているなどという主張が始まったら、とりあえず神がかりかという判断をされるでしょうから。