ミシェル・テヴォー『誤解としての芸術 アール・ブリュットと現代アート』ミネルヴァ書房
ミシェル・テヴォー『誤解としての芸術 アール・ブリュットと現代アート』ミネルヴァ書房
まったくもって世間は「誤解」だらけでござるとぼやきたくなる時もある。どこの領域でもそれは同じでしょう、たぶん。
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実際、モリエールの同時代人は彼の創造した人物の不道徳性を彼自身のものとして非難した。中世の聖史劇[宗教劇]の観客が、劇の上演が終わったあと、ユダを演じた役者につかみかかったのと同じことである(一七世紀には道徳を弄ぶのはまだ御法度であった!)
p8
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誤解という語がやや強すぎるなら、「シュレーディンガーの量子箱のなかの猫」(p94表記)問題のようなイメージに置き換えるのもありかもしれない。確定と不確定。
170ページほどの分量ではあるものの、内容は密にして丁寧なので、読み応えがあります。
本には誤植が含まれるのコーナー。
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p88 新
逆に新の即興家はもっとも狡猾かつ迅速な計算をする者であるということを意味するのである。
p176 強土
醜さが美しさに変わる表現の強土の境目が存在するのである。
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本
エステル・デュフロ『貧困と闘う知 教育、医療、金融、ガバナンス』みすず書房
これらの記述を見かけたから読んだというわけではないものの、どちらもそうだよねとなる。同時に、こういう話になるとヴェイユがそこそこの割合で出てくるのはどうなんだろうなとも思う。
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ちなみに、デュフロ氏の母は小児科医、父は有名な数学者である。デュフロ氏は、自分が内戦下のチャドではなく、パリでプロテスタント左派の中産階級の家庭に生まれたこと、その事実がまったくの偶然にすぎないことに、子どもの頃から責任を感じていたのだという。彼女のまっすぐな献身の情熱は、著作『根をもつこと』で知られているフランスの哲学者シモーヌ・ヴェイユの思想を想起させる。(p185)
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本書には良心的社会改革者の「上から目線」、すなわち「あなたたちに必要なことは、私たちのほうがよく知っています」というテクノクラート的な態度を感じさせる部分も多い。しかし、デュフロ氏の構え方が非常に興味深く思えるのは、常に「現場」とともにあろうとする献身と粘り強さ、そして実験と試行錯誤を繰り返しながら真実に到達しようとする求道者的な情熱が、社会科学者の冷徹なロジックと分かちがたく結びついているところである。(p195-196)
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内容は、新薬の臨床試験のようなランダム化比較試験を社会科学の分野でも活用しようとする場合どうなるかというのが副題の4分野について書かれている。
福島直恭『訓読と漢語の歴史[ものがたり]』花鳥社
学習院女子大の研究刊行助成で出ている本。その割には、かなり一般向け記述。
次の4点を細かく砕いて丁寧に記述している本と総括していいはず。ちょっと丁寧すぎるとも言える。
・文字は言語ではない。
・翻訳と訓読は異なる。
・訓読文は(古代漢語ではなく)日本語(の1バリエーション)である。
・明治期の言文一致は、書き言葉を話し言葉に寄せた(あるいは、融合)というよりは、書記言語の(それまでの書記言語であった)訓読文から(現在まで続く)標準語への置換である。
三つ目までは順繰りに読み進めれば納得できるはずで、最後の、書記言語の転換についても、それ自体は問題ない。ただ、欲を言えばその過程とか思考とかについてが緩いので、そこの詳しいところを読みたかった。……まあ、それを詳述したら同じ分量もう1冊となるでしょうから、無茶な要求ではある。
トレンドなムーブメント
20190828-1111の期間に、乃木坂は新美術館で「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」という企画展示がありまして、観に行きました。
解題付きの展示品一覧が掃除をしていたら見つかったので読んでみたら、
・実際には存在しないものを見たと認識してしまう「空目」
・ひとつの対象に複数の見え方が表出する
・転写するという行為によって指標が痕跡として残される
というような文言が踊っていて、どこも似たようなことをやっているのだなとあらためて思いました。
1/19 文学フリマ京都
1/19 文学フリマ京都
【す-06 ギルドてすさび】
https://bunfree.net/event/kyoto04/
いろいろ用意はしていましたが、都合により私は在席しないので、小物やら私単独の冊子やらはありません。
vol.1とvol.2があります。
vol.2の内容は以前書いた紹介の写しが以下にあります。
あるいは、https://c.bunfree.net/p/kyoto04/17329を参照。
自分が書いた物についていくつか説明というか紹介というかをしておきます。
題字とカットをかいていますので、トレンドに棹さした私なりのゆるいイラストもお楽しみください。
・地に足がつかない 第三回 道具それあれ
・地に足がつかない 第四回 てんてんと点
・地に足がつかない 第五回 てんてんと、怒髪天
継続連載。副題に現れているように、全部が独立というわけでもなく、完全な有機連鎖でもない、穏健なエッセイです。
なにも気にせずにべしゃべしゃ断言してしまえば楽なんでしょうけれども。
・いろのかみ 巻二
こちらも昨年に引き続き。毛色としては、今年の方がバラエティという点で。古文世界の味がわかりやすいかもしれません。
・にせものをつくってみよう
これも引き続き、擬古文での創作に取り組む理由の考察と説明。および、実践。
源氏物語は、紫式部稿→定家写本→影印・翻刻本→活字という流れがあります。自作に於いて、この矢印を逆に向けようという、まったくもっててすさびに相応しい取り組み。
・本棚のイッカク
ブックレビューっぽいエッセイ。